憲法と、法の支配と、自然法と。〜をコメント欄に代えてTB。
…「しかし日本国憲法上の法の支配が一体何であるのか、また何であるべきかについては、公法学者たちの間でもいろいろな議論がある」とされてあったのを、わたしなりにがんばって意識しつつ、このたびは「良い意味でオーソドックス」なと思われる解説を6つひろってきて、紹介…
http://d.hatena.ne.jp/YOW/20070425/p1
さてさて、ここのところのid:YOW様のエントリで問題にされてきたのは、
<憲法(の支配)と、法の支配と、自然法
との関係問題ですよね。これを
a. 実定憲法の背後/上位に,(正しい法,≒自然法/根本規範/条理…)の支配がある。
と考えるか、
b. (実定憲法,≒法)の支配。その背後/上位に、正しい自然法/根本規範/条理,…がある。
と考えるか論理構造的には、いろいろあるでしょう。
ただ、実際の憲法解釈のときには、*1憲法の条文だけ見てても答えは出てこない問題ばかりですので、いずれにせよ、憲法制定までの歴史,現在の社会状況とか、人間の本質…とかに遡る必要はあるでしょう。だとすると、少なくとも、
b'. (実定憲法,≒法)の支配。 // 自然法/根本規範/条理,…は憲法解釈に関係ない。
という考え方は採れない。これでは法実証主義からの形式的法治主義(「法律の支配」!?)と似たような結果になってしまいます。
反対に、法実証主義者と自認する人も、個別の憲法解釈においては、暗黙理に「自然法みたいなもの」たとえば、定式化された利益衡量(≒条理)など…を解釈に取入れているはずです。
各論的には、上記の論理関係は、(いまどきの!)実際上最も重大な憲法解釈問題として、
<憲法改正の限界 という問題に影響してきます。
これをただ形式的論理的に考えれば、日本国憲法には憲法改正の限界について明記されていない以上、*2
第一条 主権者たる全国民の選挙によって選任された終身大統領に、国政の全権を委任する。(以上)
というような憲法「改正」も可能と解されてしまいます>< *3 このような解釈や改正が、自然法/背景的規範/条理に違反するに留まらず、憲法*4に違反すると言うためには、
憲法*5は、何らかの一定の正義の内実を持ったものでなくてはならない
と端的に言い切らねばならない(a.またはb.) ということなのです。*6
そして、その「正義」の内容を実質的に解釈するに当っては、それを自然法,根本規範,条理,道徳,前国家的権利…だとか名称は何でもイイのですが、いずれにせよ、近代憲法制定までの歴史経験とか、人間生物/人間社会の構造的本質とかの事実の観察に遡らないと答えは出てこないでしょう。
芦部先生はここで 根本規範からの限界 ≒"自然法論"的限界 という言葉を使ってますし、
佐藤幸治先生なんかは、
人が人格的自律の存在として自己を主張し、そのような存在としてあり続ける上で不可欠な権利
としての人権…は普遍的な道徳的権利であり、生まれながらの権利という意味での"自然権"
であって、これが憲法改正を限界付けると言ってます。*7
そうそう、道徳だとか自然法だとかには取扱い注意 という点は、全くその通りでございます! ……けっきょく大切なのは ルールの名前 よりも、個々のルールの中身を謙虚に「考え続けること」なのでありますmRm