憲法(の支配)を すこぶる実用的な道具 として使用することを覚えた都合良くないYAHOOどもによる抵抗の実践(長;

「それでも全体主義は回ってる」
のである、と。
内心は不服従でも、ポーズでは従属してくれる人民というのが、
支配側にとって、最も都合の良い人民である

http://d.hatena.ne.jp/YOW/20070509/p1

に対して、

 面従腹背: 内心の反抗心と、外面の服従にしても、
踏み絵/嘘発見器MRI検査,匿名掲示板…のように、地に着いた感情(;怒りとか) は
やはりある程度(――抑えきれず!) 自然に 漏れてくるので、速断は出来ないかな。

と応じたところ。
 やはり、家族が戦争に引出されて戦死したり、内戦で犠牲になったりしたら、その怒りを舌を出すぐらいで発散はできないだろうなぁ。こういう自然な痛みに共感して立ち上がる人々も多いだろうし、その原因となる人間たちが明かで在れば、実力行使も検討するでしょう。 つまり、形式は常に実質的に破綻する危険を内包している…。
 で、以下は、コメント欄に書こうと思ったけど、お約束どおり長くなったので、エントリーに捏造!



1984』はまだ読んでないのですが、

『キリングフィールド』というカンボジアポルポト支配を扱った映画にはショックを受けたことがあります。

>実の子ども達に密告され…
>その緊張感が逆に、日常を濃密にし、老いても惚けにくくなったりして、一度味しめちゃったら、案外たまらん世界かもしれません(ぉぃ
 ちょ、これは…、遅かれ早かれいつかは壊れるジェットコースタについ乗りたくなる気持ち><。 死と隣り合わせであってこそ、現在の生命が煌めきを増す、みたいな。。(死ぬのが絶対に嫌なら、PC/ゲーセンで「virtualな」ジェットコースタ(simulator)に乗ればよいのだし)
 …て、リアルな現物の命が実際に壊れちゃったらやっぱり泣きますってば;;

八月革命説

「もっぱら」外国勢力の「援助」によってしか達成し得なかった革命であったとすると、、何ともカッコのつかない12歳の子供の「革命」ではありますが…;

<押しつけ憲法論の根拠としては、
 外国の実力占領 →傀儡政府 →国民に革命/憲法制定の意思なし =>憲法に瑕疵;無効
という流れが考えられましょうが、
 それだと60年間無効な統治を続けてきたので、「大日本帝国憲法が未だ有効であることを確認する」というのが筋になって大混乱を招くことに。
 むしろ、当時の打ちひしがれた厭戦空気/国民意思を実質的に考えると、
法的にこの瑕疵の原因や、結果的瑕疵自体、が無かったことにする、あっても治癒;追完する法形式的理論は、各段階で考えられるので、結局は現行憲法に対するネガティブキャンペーン、改正/新憲法制定運動の材料にしようという政治的な問題にすぎないようです。

憲法保障と人権保障 についてですが、

 社会契約論etcは、憲法制定の背景の物語的な説明に過ぎないと思うので、
憲法が法的に有効に成立したことを前提とするなら、あとは、

    ――「憲法保障の最後の担い手」と呼ばれる
をまずは形式的に考えていくことになりそうです。(その背景としては実質的に社会契約論的説明も出てくる)
♪imagine all the people… だけだと、ココロの中での(麻薬的にvirtualな!)ことに過ぎない。けど、やはり人間は自律的な意思に基づいて行動する動物だから、そのimagineも最初に必要なことで、その具体的顕われこそが、この両方の権利の投票/実力行使となっていくのでしょう!!
 憲法保障/ゴケンゴケンと咳してるだけだと、現代版「国体の護持」のようなものになって、手段が目的化、規範(もその実効性も)が形骸化してしまう…。なので、人権保障 ;平和保障/人間の安全保障に役立たない憲法なんて なんぼのもんじゃい という、根本目的について全員の共通認識を深めることがまず始めに重要なんだろうなぁ。



日本で上手い政治ネタのお笑いが無いのは、

> ひとえにそのことについて不勉強で知識を積んでないから
 これに加えて、表現の受け手としての視聴者の政治的リテラシの問題
もあるでしょうね。まずは、

  • 対立緊張的に筋道立てて話し合いを進めて

いく訓練とその観戦の訓練を積まないと、(←→;朝まで生テレビの終始混沌とした様相)

  • 意図的に型を崩すことにより産まれる緩和の面白さ

も感得できないということなのかな。
 とくに、ほうぼうのブログなどを観ていても、コメント欄に直打ちするせいなのか、その場その場の揚げ足取り的な乱戦になってしまいがち…(→コメント編集欄をCSSで拡大しましたw)。日本のお笑いのセカイでは、手続技巧的に突き詰めて空回りさせてくような笑い(;『RED DWARF』『モンティパイソン』とかのsit comみたいなイギリス的ブラックジョークw?)よりも、笑いによって周囲との同調を確認し安心する目的面が強いような気がする。
――あ、そうそう、聖とか権威性の問題だったw
 けっきょくは、おそれおおい聖職者や権力者を弄って、自分にはね返ってくるのにおじけづいている/覚悟がないだけなのかもしれません。 >>抵抗権

「選挙が正しい」かのような発想

 そう。投票は(自分勝手な濫用もやむを得ない)権利であるのに、公権力によって、
    投票場に行きましょう
と催促される…。まずもって、
    よく考えて投票するかしないかを決めましょう
とは言われない。
 しかもその上、肝心の
    よく考えて候補者を選びましょう
とも示唆してくれないのは不親切ではありますね><

最後に、やはり社会契約的説明

のとこでぐるぐるされているみたいですが、
自由なプレーヤが活躍する私法における、信義誠実の大原則(公益/公序…公権力??の確立)について数理的説明を試みようと私がぐるぐるしていた昔のレポートが何か参考になるかもです。
http://mrmind.hp.infoseek.co.jp/mindwrld/singR11.txt ひとことでいうと、
 現在の実質的状況(現状)は、形式的法システムを通じて間接的に、「美しく自然な」wあるべき将来のvisionに引寄せられていく、と。(なんか法(律!?)の支配みたいですね)