2. 唯名論って…名前と内容との逆転??

言語と指示内容の話なの?

  ミカンという果物、神という至上の存在、自然法という規範、などの
  「価値」が確定して先ずあってから、それを指示する名前、用法がある
のではない、という、大逆転です。
……名前や用法といった「位置・場所・フレーム・凹」の方が、中身に対し「常に・既に」先立っていると。

http://d.hatena.ne.jp/YOW/20070504/p1

 …偉い哲学者の考えはよく解らないけど><
私はこの話を初めて聞いて、ジュウシマツ♂の歌の話を思い出しました。
ジュウシマツの歌で「言語の起源」にせまる
 簡単に言うと、ぼんぼんニートのジュウシマツ♂は♀を引き付けるために、いろいろ無駄な遊び/知識や歌を身につけてアピールするようになってしまうという話です(違う;
 無駄な歌と言っても、親/おじ♂の歌を承継し独自のアレンジを加えていくので、どんどん複雑化したオタク体系を身につけます。そして♀はその複雑さ自体に惹かれていく傾向が生来的に備わっているというのです。(性選択の一種)
 性選択は、生存選択という歯止めがない限り、生きるためには無駄でも何でも空回りしてしまう性質があるので、あと数百年すればジュウシマツの大脳は肥大を始めるかもしれませんw (これって自然のコトワリ??)
 この岡ノ谷一夫先生は、人間の言語の発生についても、まず無意味な歌/言語発音の体系が発達し、その後に、個々の歌記号に意味がだんだんと付与されてきたのでは、という仮説を唱えています。
 
 ただ、実際には、動物;人間 には目や耳などの感覚入力器と環境改善行動能力が備わっているから、記号/象徴とその指示する実体内容とは、一定の繋がりを持つはずだし、記号体系と実体体系がぐるぐる回って連続的に複雑化していくのでは、というのが私の考え。ただし、「価値」のように、「実在」なのか疑わしいモノについては、唯名論みたいな逆転現象が多いのかなぁ??
 
 そこで、ようやくYOWさんの追っかけてるテーマの

なぜころ: なぜ人を殺してはイケナイか?

の問題に移れるわけですね。

  • 「人(仲間)の命は保護する価値がある」という実体的価値、保護法益の実体が先なのか、
  • 「仲間は殺すな(非仲間は殺してもよい)」という強制命令、規範体系が先なのか、

――あ、これは刑法で言う <違法性の本質 の論点だ。
どういう解決の道筋が見えてくるのか、期待して待ってます。
と、その前に、

かつて「自然状態の未開人」とか、「『テロとの闘い』の例外状態」みたいなかたちで、
規範に「例外の可能性が開かれていること」が、抜け道のようなかたちで「強行規範」の絶対性が開かれることが、本当は内心期待されている・必要とされているのであって、「例外作りが自己内生産される」ものでもある、

ここのところがちょっと私には分り難いので追加説明plz!
自然法」はやっぱり顔を出してくる?