★解毒剤かなー(編集中

自分勝手さの免罪符とまではならないでしょうが、
    解毒剤
くらいにはなるであろうという、
    謙虚さ
という概念をご紹介しましょう♪



自分勝手さの(判断基準)に従って検討してみると、
◎人間の目的

  • 自分の利益ばかり考えること

―― この反対は利他主義ですが、人間という動物に、一般的にこれを期待するのは無理と言うものでしょう......か?
――遺伝子の一部を共通とする、親子兄弟etcは別なんですが。
――さらには、アリとかハチは、社会的動物だそうですが......つまらなそうですね(爆


◎世界観察、世界の記号化

  • 自分の周りのことしか眼に入らないこと
    • 人の話をよく聞かないこと

―― これは、人間が一個の個体である限り、避けることのできない性質のようです。――かなり悲観的。
――現に、中東辺りの出来事に関しては、誰かが取材・報道してくれないとどうにもならないわけです。
――さらに、言語が違えば誰かが翻訳してくれなければ理解できません; ;
―― でも、近づいていくことくらいはできるね。/今いる場所から離れるが......

  • 自分に都合の良いように解釈してモノコトを受け止めること
    • 人の話がよく判らないのに、聞き返さないこと

―― これは、先入観とか固定観念を捨てて(話し合う)訓練を積めば、ある程度可能です。  ――科学者的態度、とも言う
――とくに、言葉という記号から意味を排除した論理、による推論を用いれば、仮定が正しい限り、結論も正しい結論を得ることができます。


◎推論規則(思考パターン)

  • 独善的で、現実的でない考え方(思考パターン)のこと

―― これは、どこから観ても「現実に合致して正しい」ように観える推論法則、たとえば
    pならばqであり、かつpである。
    従って、qである        ――modus ponens(≠三段論法?)
――のみを用いることにすれば解決する。
――それ以外の、統計法則とかについては悩ましいですが。    


◎他の人との関係

  • 自分の考え(自分の蓄積したDATAと、自分の用いてる思考パターン)を秘密にして、他の人に伝えようとしないこと
  • 人の心の動きを思いやることができないこと

―― これができないと、共通感覚とか共通信念は成立しないですよね。
――「我々は今、囚人のジレンマ的状況にある」とも共通理解できないわけです。
――さらに言えば、上記が完全に充たされていれば、
    他人の考えを、自分の心の中で、emulateすること
――が可能になってくる、と信じたいわけです。
―― /しかし、その他人もソレを試みていた場合、    ――おっと、じゃんけん的状況ではないか!!!
――自分をemulateする他人をemulateする......となって、循環します。
――<ここに均衡点(不動点)はあるのか、が重要な問題です。



◎謙虚さ

  • 「自分が自分勝手であること」を知らないこと ――あれ、パラドックス?

「自分勝手であること」の具体的意味(判定基準)を知って、
「自分が自分勝手であること」の真偽を実際に判定し、
不幸にも、  ――(爆
    自分は自分勝手である
という真実を発見してしまったとしましょう; ;
< この 認知的不協和 を如何にして解決するか???
 もちろん、自分勝手な解決法では事態を深刻化させるだけです (爆  
 そこで、
    謙虚さ
という概念を導入します。
 一般に、謙虚さとは、"腰が低い"程度の意味に理解されていますが、そうだとすると、徹底的に謙虚な人、というのは卑屈で、自信を持って結論を主張できない人、ということになってしまいますので、ここでは、もっと積極的な意味を与えることにします。すなわち、
    「ソレが正しい」と信じる前に、
    「自分が「ソレが正しい」と信じるならソレは正しい」と諦めることはしない、
という、推論規則のこととします。逆に言えば、謙虚な人は、
    「自分が「ソレが正しい」と信じているからソレは正しい」と信じてしまったときには常に、単に
    「ソレが正しい」と信じます。
 普通の言葉で言えば、
    ある事実を確認する場合に、自信過剰にならず、徹頭徹尾に、具体的証拠と論理を重ねること
です。
    オレが正しいと言ってるんだから、信じろ  ――政治家は凡て謙虚ではない???
とは言わないわけです。


 謙虚な人の特徴として、彼は、
    何かが自己充足信念である
と信じたときは、
    その何か
を信じてしまいます。
 具体的には、
    もしも、私が円の交換価値を信じれば実際に円には交換価値がある  ――必ずしも正しくない
と信じれば、
    円には交換価値がある                  ――必ずしも正しくない
と信じてしまいます。



謙虚な人々の集団においては、足し算すると、
    もしも、人々が円の交換価値を信じれば実際に円には交換価値がある  ――これは正しい。
と信じれば、
    円には交換価値がある                   ――これも正しい。
と信じます。


ということは、
謙虚な人々