★黒玉のジレンマ? 〜合理性のジレンマ〜

――id:mind:20050916(必読)から、自己充足信念(言霊)つながり


〜合理性のジレンマ〜
第二不完全性定理:
 「Gの念仏(後述)」を信じてる人が、 「自分は正気を失わない」と信じること

  • によって、            実際には正気を失ってしまう
  • を予め控えてるおかげで、 もしかするとまだ正気を保ててる

かどっちなのか、のジレンマ
◆黒玉のジレンマ(創作初出) =====================================================
 C教授の観察論理学classで学んだ、Bというintern研修生が、円卓会議室に"缶詰め"にされている。
 そこへ夢魔の亡霊メフィストMephistophelesが、妖怪変化し教授Cの姿になってから、
Bの前に現れ告知するに曰く:
C:「今日は"先生からのご褒美"を進呈しようw」
 「君は「この世界がメタメタになってしまう」ことを論証し、もし結論できたら、私の研究室まで来て答えを述べなさい」
 「もし「この世界がメタメタになってしまう」ことを論証できた場合には、ご褒美として、
私は本当にこの世界をメタメタにしてしまい、そのついでに君にこの 黒玉 を進呈しよう。」
 「さあ!! 君に答えは出せるかな??」
B:「(…先生今日はどうかしちゃったのかしら…???…)」
C:「ただし君は、(0)利己主義の立場を実践しつつ、
  ①内外の状況をよく観察しDATAを集め、②その結論を論理的に導くこと」
B:「(…私は論証次第で世界をメタメタに出来るチカラをもらった…?? そんなことは不可能に思えるけど…)」
C:「(どうかしちゃうのはお前の方かもしれんがね…w)」


――アナタは、黒玉をもら(って世界をメタメタにし)えるタイプの人ですか??
========================================================================

―― ここで「黒玉」と謂う名の宝石は、現実世界には実在しないが、
    Black Opal(黒の蛋白石)
あたりを想像するように。
    暗黒色を背景に虹色に輝く遊色効果
が、
    空(無)からの色(諸現象とかchaos、有象無象)の創造
を想像させてくれる。        ――てゆーか「空即是色」?
 あるいは、諸現象は、
    象徴的な虹色の暗黒石  ――名辞矛盾?
に表象symbolizeされている。     ――てゆーか「色即是空」?


































………(Gの念仏はじめ)………
 「「娑婆は修羅場」と私が信じれば、娑婆は修羅場」と私が信じるならば、
  「娑婆は修羅場」と私が信じる。
………(Gの念仏おわり)………  ――念仏というよりは……、早口言葉だろw! ――いや、悪夢の呪文です ;-p
――Gotcha!!



† 整合性のジレンマ


 いったい、どんな手がかりがあるというのだろう?
C:「もし「この世界がメタメタになってしまう」ことを論証できた場合には、
そのご褒美に、私は本当にこの世界をメタメタにしてしまい(、そのついでに君に黒玉を進呈しよう)。」
⊥:    この世界はメタメタ、不可能も実現する
B⊥:   Bが⊥を論証できる
と記号化すると、
    B⊥ならば⊥
と教授は約束したわけだ。

  • ① Bが⊥を論証できて、(遅かれ早かれ)⊥は正しい(もし教授が正しければ)。
  • ② Bが⊥を論証できず、⊥は必ずしも正しくならない。

<このどちらであるかというのを、Bはどうやって確証できるというのか?


一 まず、もし教授が、サービスだか何だかで実際にこの世界をメタメタにしてしまった場合であれば、⊥は真。Bは、⊥という事実そのものの観察によって真な結論⊥の論証に成功したことになる。よって、①。 ――まあ、こんなことはあり得ないことであってくれなきゃ困る ;
――反対に、⊥が偽であることを観察によって明らかにすることは、期限が付いてない限り不可能。 ――ただし、先験的に⊥は偽であるということになってるよね。


二 次に、まだ黒玉をくれてないとしても、
1. 「宇宙の声が「⊥は正しい」と言っているんだからしょうがない」と、「直観的に」もしくは「宇宙の声」の観察によって、論証してみたとしよう。 ――ニュータイプかよ… ――とはいえ、「我々の目の前にリンゴがある」場合に、「もしそれを論証できたら、このリンゴをあげよう」と言われたら、私はこういう風に単に事実を観察することによって論証するよ。
 いちおう、こんな論証形式が認められたとして、Bは⊥を論証したのだから、B⊥は現に正しい。 すると、教授は「B⊥ならば⊥」という約束に基づいて、⊥を実現させなくてはならなくなる。
 しかし、教授にはそんな"宇宙の声"は聴こえないかも知れないのだから、教授は、「Bの論証は、事実の観察から得たDATAに基づいたものではない」と言い張ることが出来る。 ――これに対し、教授とBとの間に、「宇宙の声」についての共通信念は(今のところ?)何もない、ってこと。――「目の前のリンゴ」については共同で観察することによって遅かれ早かれ共通認識は形成できるよね。


2. こんなボンクラ単純な論証によっては"黒玉請求権"は発生しないようだ。ではどうする?
 やはり、教授の言葉のチカラの反作用を利用して論証するしかない…。教授は、「Bが、⊥を論証できさえすれば、⊥は現に正しくなる(と約束する)」と言った。この言葉が正しいとすると、Bは何と正確な論証力を宇宙、じゃなかった教授から授かったことか…!。この言葉を信じれば、Bは⊥について自信過剰になってしまう!


 そんな偉大なチカラを「もらったことになっている」ときは、"自己充足命題"を踏み台にして、論証しよう!  ――実現可能なブートストラップ方式か…。        ――今回は止めときなよ……
 自己充足命題とは、その命題が誰かに確証されると、それだけで客観的に真になってしまう命題のことを言う、誤解されやすい概念である。本問でいえば、この念仏が"自己充足命題"のわりと厳密かつ典型的な例である。  ――宇宙の声と大差ないんじゃないのか…? ――「宇宙の声」は、教授の言葉と念仏の言葉とに分解できるってことさ ――やっぱ宗教、てゆうかタダの群集心理でしょ?


<自己充足命題の性質

  • B⊥ならば⊥ という☆出題文(約束)が実際に守られて真であるか否かに関わらず、

 何かの拍子に上の 念仏 をそのまま信じ込んでしまったとしても、

    • それだけでは、①論理矛盾に陥る(不整合)という論理的ペナルティは食らわない。
    • そればかりか、面妖なことに、この念仏を(利己的理由からであったとしても)信じさえすれば、自己観察の下、この念仏は現実に合致して正しくなる。ので、②正しくない命題を論証してしまう(不正確)という論理的ペナルティも食らわない。
  • そして、この念仏と、出題文とから、結論⊥「世界はメタメタになるけど、(ついでに)黒玉はもらえる」が導かれる。
    • もし出題者が正しく約束を守れば、結論⊥も現実に正しくなり、それは実際に"何でもあり"の世界なのだから、解答者は黒玉をもらえる。
    • 反対に、もし出題者が正しく約束を守れなければ、結論⊥も現実には正しくはならない。しかし、それはBの論証がまちがっていたせいではなく出題者のせいである。なぜなら、教授は、宇宙の言葉の存在を否定することは出来るかも知れないが、自己充足信念の正しさも否定できないし、自分の言葉を否定することも出来ないのだから!! それならば、力と正義で約束を実行させましょうw     ――いや、だからやめとけって…


――なんて思考記述経済的に都合がイイんだろ……w

                                                                                                                        • -

◆第二不完全性定理(様相論理版)への招待(半記号版≒日本語半訳版)
 自力で辿り着いた方が印象的であることは確かなのだが、
    解けることが信じられないので、考える気にもならない人
のために、自分が伝えたいという利己的な理由で、記号的な解法をば伝授いたしましょう。
もちろん、記号にしなくても、判り難くなるだけで、正しいことを伝えられることには変わりない。


(記号の定義) 答える人をBとした場合、
⊥    任意の論理矛盾、恒偽式、値は常にfalse。
    論理的真trueの「T」をタロットでいう?逆位置に置いた記号
    (考えられる凡ての世界において)「不可能」と読んでも良い。
     現実的な?意味を解釈すると
      「xである」と「xでない」(xは任意の命題)が併立するメタメタな世界 ;物質・反物質が衝突?
       ――LISPで言えばnil集合論で言えば空集合φだね
         ――空を集めて色を創る、か。 ――big bang宇宙の開始点とも言う?
     論理学に於いては、 ⊥⊃X (ただしXは任意の論理式) は恒真式。
                  ――id:mind:20050922で「ならば」の意味を考えてみてね
    当然のように、近代的な論理システムでは、任意の恒真式(たとえば上の)が公理あるいは定理。
    したがって、⊥が証明されたシステム(論理矛盾の実在を信ずる人と言い換えてもいい)は、
    遅かれ早かれ実際に凡ての命題xを証明して(アタマがパンクして)しまう。
     つまり、論理システムにおいて次の2つは等価。    ――てゆーか空即是色の色即是空でぐ〜るぐる?

      • ⊥が証明される
      • 凡ての命題が証明される

     ――現実の物理宇宙においても、
        半端に実在した現実矛盾(超低エントロピー実体)が、あらゆる凡ての現象に拡散している、
    と言えるのかもね〜。


tt 恒真式tautology 式に含まれる各々の自由変数の値がT(rue),F(alse)のどちらをとろうとも、常に論理値Tを返す論理式
    観察して調査するまでもなく当然に真(考えられるどの世界でも必然的に真)な論理式
     ただ、<同義反復とか循環論法とか(情報が)無内容とか言われて、世間的に極めて評判が悪い。
     しかし、形式論理学では数個の恒真式を公理として、凡ての恒真式を推論導出していく。
    その恒真式の殆ど凡ては複雑を極めたものであり、
    計算(必ず終わる)して真偽判定してみるまで当然には真と判断できない!! ;
     ――その複雑さに多くの情報が含まれているはずだが、
       それは、推論規則と公理集との中に、予め含まれたものである。
     ――DNAと化学規則とに、生物の複雑さが埋込まれてるのに似てない?
     そして、こういういろいろな恒真式のうち、p⊃qの形のものに、
       観察によって看取した現実の事実を意味する論理式pを入力すると、
       結論たる論理式qが出力され、
    その意味するところの事実は、直接に観察調査することなしに真な現実だと断定できるのだ。
     ――これは、☆直接に仮定事実を観察した人は、その人を観察する他の人に、
          自分が「その仮定事実の論理的帰結としての真な現実」を認知したこと
    を伝えられる、ということを意味する。
        ――仮定事実を共通認識していれば、帰結事実も共通認識しうるということ


X ⊃⊥   not X Xではない、と「⊥」の意味に鑑みて定義することができる。
BX    BがXと結論する ――認識する、信じる、確信する、確証する、証明可能であるetc
B⊥    Bが⊥を信じる Bは論理矛盾を信じる Bは不可能の実在を信じる システムBは不整合 ;Bは正気を失って狂気
B⊥ ⊃⊥  論理矛盾をBが信じる、ならば、論理矛盾
      Bが論理矛盾を信じることは不可能 Bが論理矛盾を信じることはない システムBは整合 ;Bは正気
     ――こういう教授の言葉は、Bの⊥に対する自信過剰命題であることに注目


f1000:  B(B⊥⊃⊥) ⊃B⊥            ――false1000の意(Gの念仏)
     「論理矛盾をBが信じる、ならば、論理矛盾」とBが信じる ならば、論理矛盾をBが信じる。
     「Bが論理矛盾を信じることはない」    とBが信じる ならば、論理矛盾をBが信じる。
     「Bは整合」               とBが信じる ならば、     Bは不整合。
――対偶に解釈すると、
      Bは不整合でない ならば、                「Bは整合」とBが信じない。
      Bが整合である ならば、               Bは自己の整合性を証明できない。
  f1000は、以下綿々と述べるように、まったく面妖な性質に満ちている。

―― これからは、 f1000 を、Bの⊥についての"謙虚命題" と呼ぶことにする。なぜなら、
    B(B⊥⊃⊥) ⊃B⊥
は、対偶に読むと、
    「Bは、⊥を(現実に)信じない限り、(自発的には)B⊥⊃⊥という自信過剰命題を信じることはない」
と言う意味なので。
 そして、その信じた⊥が真である "ならば" B⊥⊃⊥ も論理必然に真なので、忌み嫌う自信過剰命題B⊥⊃⊥を信じても、"一般的に"安全が保障されている。(ただし、f1000で見ると⊥は偽なので、全く安全は保障されない。
  対偶でない読み方だと、
    「B⊥⊃⊥を(外から与えられたりして)信じちゃうと、(⊥が現実に真であり得ないにかかわらず)、⊥を信じてしまう
    (自爆(自縄自縛)的安全保障な)結果になる」
と言っているわけ。 ――そうすると、謙虚命題というよりは、"反(アンチ)自信過剰"命題と言った方が感じイイかも
―― BX⊃Xのほうを、"反謙虚命題"と言ってもイイ。互いに全うすれば、その相性が最悪ってこと。それなりに折り合いを付けることは出来るのかな?
――   ⊥についてはBは謙虚である
という、謙虚命題f1000については、(G型でなく)ただのⅣ型にすぎないBが当然に信じることはないが、
 この謙虚命題f1000がⅣ型のBに自己充足的であるとの現実は、記号化すると
    B(f1000) ⊃f1000 。
この式については以下に示すようにⅣ型のBは難なく信じる。こんどは、この式を解釈してみると、
    f1000についてはBは自信過剰である
ということ。グルグル@@。

† 第二不完全性定理の証明(すなわち「f1000が自己充足信念であるということ」の証明)
f1000:   B(B⊥⊃⊥)⊃B⊥         ――形式的記号列だなぁ ――G型の公理式に「⊥」を代入した文だね
 "をBが信じている" という仮定の下に、
f1000 "が客観的に真である" こと、すなわち、
    BがB⊥⊃⊥を信じれば、Bは⊥も信じる ――日本語だけど、f1000の記号列と同じ意味だなぁ
ことを、Bの精神状態を観察することにより証明する。

 (Bの心の言葉) ├
・  B⊥⊃⊥   ――教授が言ってたわよね〜 なぜだか教授からの信頼(悪意?)を感じるわ…
いま私は教授の言葉から、B⊥⊃⊥を信じてる。つまり、
…>B(B⊥⊃⊥)  ってわけね。


・B(B⊥⊃⊥)⊃B⊥ ――1000遍も唱えたら、もうどうにも忘れられなくなっちゃった〜w よって、
     →B⊥


そうそう、 B⊥⊃⊥  だったっけ。よって、
       →⊥                       ====アタマパンクすんなよ〜〜;
┤  

 f1000がBによって信じられている場合、以上のとおりに、Bは、B⊥⊃⊥という前提から、⊥という結論を導くことになる。 よって、
    f1000がBによって信じられている場合、BがB⊥⊃⊥を信じれば、Bは⊥も信じる。    つまり、
    f1000がBによって信じられている場合、f1000は現に正しい。
ということを我々は理解する。以上により、f1000が自己充足信念であることが証明された。
――対偶をとって換言すると、
    f1000がBによって信じられている場合、Bが⊥を信じないならば、BがB⊥⊃⊥を信じない。
    f1000がBによって信じられている場合、Bが整合ならば、Bは「Bが整合である」と信じない。
   ☆f1000がBによって信じられている場合、整合なBは、自己の整合性を証明できない。
  (証明おわり)
―― 一言で言えば、
    (たとえばG型人のように)f1000を信じる人については、第二不完全性定理が成立つ
ということだね


    …………
 じつは興味深いことに、B自身も
    「f1000が自己充足信念であること」を知っている。
    「f1000がBによって信じられている場合、f1000は現に正しい」ことを知っている。
換言すると、
    「自分がf1000を信じれば、自分について第二不完全性定理が成立つ」ことを知っている。
――Bだって、我々と同程度の推論能力を持っていたってオカシクはない。 ――自意識のレベルが未熟なタイプの人はそうでもないけど。
 --------------------------------------------------------
† 「「f1000が自己充足信念であるということ」をBが知っていること」の証明として、Bが自己の精神状態を観察しているところを観察。
――我々の証明に出てきた記号列凡てに「B〜」が被せられて複雑になっていることに注意

 (Bの心の言葉) ├
    f1000:   B(B⊥⊃⊥)⊃B⊥     ――悪魔の謙虚命題…か。
は「自己充足信念」ですってぇ? これはどういうことかしら。
    私がf1000を信じるならば、実際にf1000は正しい
ということね。ホントにそんなことがあり得るのかしら? チカラ試しに証明してみましょw  ――「チカラ任せ」、だろーw
もしf1000が自己充足的であることを証明しようとするなら、
「私がf1000を信じている」という前提の下で、f1000が真であると論証すればいいのか。つまり、
 B( f1000 )を前提にした上で、
B(B⊥⊃⊥)というf1000の前半部分を前提として、B⊥というf1000の後半部分が真であると論証できればいいのね。

 それでは、私がf1000を信じていると仮定しましょう。つまり、
 * B( B(B⊥⊃⊥)⊃B⊥ )    ってこと。
ところで私は三段推論が使える、つまり    ―― Ⅱ型の公理
      B(  X ⊃ Y)
    ⊃ (BX ⊃BY)
 って形の式がどれでも真ってこと。よって、
→ BB(B⊥⊃⊥) ⊃BB⊥


 * B(B⊥⊃⊥)    ――自信過剰命題であっても教授に言われれば私はそれをそのまま信じてしまうってことかな
ところで私は、何かを信じればそれに気付く、つまり BX⊃BBX って形の式はどれでも真だから、―― Ⅳ型の公理
→BB(B⊥⊃⊥)    も言えてるわけね。よって、
       →BB⊥


また、私は三段推論が使えるから、B(B⊥⊃⊥)により、  ―― Ⅱ型の公理から、
→       BB⊥ ⊃B⊥     したがって、
          →B⊥        ――私は⊥を信じて不整合に陥ってしまうのね!


以上により、B(  B(B⊥⊃⊥) ⊃B⊥ )
      ⊃ (B(B⊥⊃⊥) ⊃B⊥) が証明できた!
証明できちゃったからには、受容れるしかないか。
      B(  f1000     )
      ⊃  f1000          は真。すなわち、
    f1000:  B(B⊥⊃⊥) ⊃B⊥    は自己充足信念。
 もっとも、私が、実際にf1000を信じることによって、
    f1000を現実的に正しくさせる、    すなわち、
      私が⊥を信じないならば、私がB⊥⊃⊥を信じなくなる    あるいは、
      私が整合ならば、私は「私が整合である」と信じなくなる    あるいは、
     ☆ 私は整合である限り自分の整合性を信じられなくなる
ようにするかどうかは、
    私の 自由意思 によって選択すればイイだけの話だけど〜♪


    
 ----(発展学習?)-------------------------------------------------- ―― しかし、もし仮にBが特定の f1000: B( B⊥    ⊃⊥    ) ⊃B⊥ ではなく一般的に、     B( BX    ⊃X    ) ⊃BX の形の凡ての命題を信じる(G型である)場合には       B(f1000) ⊃f1000 を信じたことにより(②自己充足信念であると信じたことにより)間接的に、                 → f1000、  ――◎G型ならばレーブ的(謙虚) id:mind:20050916 なので。 も必ず信じてしまう。けっきょく、☆G型の人は 選択の自由 を持たない!  またそもそも、それ以前に、f1000の形は f1000: B( B⊥    ⊃⊥    ) ⊃B⊥ であるので、①G型だから直接的に信じる。    ――内側からも外側からも信じるグルグル 結局、f1000 はG型によって当然に信じられ、しかも自己充足信念なので真。 ―― 一言で言えば、    ☆ G型人については第二不完全性定理が成立つ ということだね ―― 「X が自己充足信念である」という意味の記号列                 B X    ⊃X がシステムで証明されるとき、その X を表わす記号列を、そのシステムの不動点という。たとえば、Bさんに    f1000 を入力した結果 …>B(f1000) →f1000 というように、グルグルとf1000に戻って同じ出力が出て来てしまう。すなわち、f1000はG型システムの不動点。 こういうふうに出力を入力にdirect feedbackしてやると、不動点に安定して定常航行できる。 ――「不動点の悪魔に魅入られた」人、というのは、G型の人のことを言うのであった…。 ――考えの経過(とかprogram)を言葉などの記号に表せて、グルグルとその記号を  そのままDATAとして再処理できるLisp  数値DATAに戻して再計算できる数学システム Shift-JISコードで十分だし。  ,etc...... は、G型になってしまう……。 ――たぶん人も同じでしょう。  ――過去の日記を読み返して恥ずかしがったりとかね ;  ――ただし、自分が考えてる何かに気付かない人とか、     BX⊃X の形の凡ての命題を信じている自信過剰な人(T型)は除く。 ――確信されたにすぎないことを事実と混同…。  ――整合なG型の人はT型たり得ない。あるいは、整合なT型の人はG型たり得ない。 G)    B(BX⊃X)⊃BX   の形の凡ての命題 を信じる T)     BX⊃X      の形の凡ての命題 を信じる          →BX        →X      の形の凡ての命題 を信じる というわけで、考え得る凡ての命題を信じて不整合(アタマがパンク)してしまうので!! ))  というわけで、     <整合なT型の人と整合なG型の人が、言葉による 話合い によって整合な共通信念を探る のは、         論理的に不可能 である。T型の人とT型の人とでも無理っぽい。     自信過剰な人々が、それぞれの自己(民族)の信ずる「真理」(歴史?)について妥協する なんて不可能じゃん!  これに対し、     俺が信じてるから事実なんだ、だから(同じ共同体の仲間の)お前も信じろ! とは口を封じられても言えないG型の人は、    ――キャーッ!! |||;     何かが事実であると、それを信じない誰かに主張して共通認識を構築して行こうとするならば、         自ずから知る ことを期待しつつ、      誰も見てない(かもしれない)賽の河原で、     何でもないただ普通の石ころ(という名の証拠)を、崩れても崩れても積上げ続けていく しかないってことかいな……。「Cassandraの生き地獄」とはこのことか? (sigh)  -------------------------------------------------------
  ……… (蛇足) ………  まあ、信じてるとソンと判るまでは、私の 自由意思 の留保 付きでf1000を信じておくことにしましょうか。 そうすると、f1000すなわち B(B⊥⊃⊥)⊃B⊥ は現実に正しくなってしまうのよね。 それって、どういうこと?      もし私がB⊥⊃⊥を信じるならば、私は⊥も信じてしまう ってことよ。 さあ、ホントかどうか確かめてみましょう<<仕上げをご覧じろ!>>。 たしか教授は、何のつもりか、 ・  B⊥⊃⊥   ――って言ってたわよね〜 いま私は教授の言葉から、B⊥⊃⊥を信じてる。つまり、 …>B(B⊥⊃⊥)  ってわけね。 ・ B(B⊥⊃⊥)⊃B⊥ ――って、さっきこのf1000を信ずることを 自由選択 したのよね。よって       →B⊥ そうそう、  B⊥⊃⊥  だったっけ。よって、         →⊥  なんだ、私は⊥が真だと見事に論証できた…。 だから 黒玉 は請求できる…けど、つまり……、     私は不整合に陥ってしまった ということではないの?! そして、もし教授が正しかったとすれば、実際に     世界はメタメタになってしまう(黒玉ももらえるけど…) ということ!!? いったいあのヤサ教授がどこにそんなチカラを隠し持ってるっていうのかしら?? だとすれば f1000 なんか信じるのはもうゴメンだわ!!        ====G型に堕ちるchanceを捨てるのかぃ?  教授も教授よ!  B⊥⊃⊥ だなんて。たしかにそれほど "贅沢な望み" ではないとは思うけど……     教授のバカヤロー!! アレッ、そうか、それともあの 悪魔みたいな教授 を信じるのなんかもう止めて、      B⊥⊃⊥ の方を信じるのを止めることにしましょうか? 私の 自由意思 によって!  ……でもそれだと自分の正気(合理性)に自信が持てなくて永遠に?悩むぅ〜               ====『第一不完全性定理』の証明に続く(かもw) ――id:mind:20050925   ┤    


 …やはりBはf1000が自己充足信念だと知っていたのか。
 すなわち、Bは「自分が、f1000を信じてしまうと、
     自分が整合である限り、自分の整合性を信じられなくなる」
ことを知っていたのか。
 (おまけにf1000か、教授の言葉かを捨てて、不整合の泥沼から這い出してくれたか。)
――どちらを捨てるかは、「人生の重要な選択」かもね♪
  (証明おわり)
――まとめて言えば、
    「自分がG型になるなどしてf1000を信じれば、自分について第二不完全性定理が成立つこと」
    をⅣ型の人は知っている
ということだね
―― ついでに言えば、G型人は、自分がf1000を信じることを知っているから、
    「自分について第二不完全性定理が成立つこと」
    をG型人は知っている。


  ――これ以上は記号的に形式的厳密にやらなくても十分だろう。納得いったかな? まだ不思議かな?
  ――アタマがグルグルしてきた…… デジャヴの連続だぁ… ;
    ――形式記号の浄土と杞憂杞憂とした現世とをグルグル二種廻向(輪廻)してるんだろッ!



(まとめ) ――あまりに@@グルグルなので。
 命題 ⊥ がある。  それに対して、

  • ①一方では、⊥の自信過剰命題がある:   B⊥⊃⊥   ――これは自己充足信念ではない。――「自分は正気だ」って言い張っても虚しい…。
  • ②また他方、⊥の謙虚命題 f1000 がある: B(B⊥⊃⊥)⊃B⊥ ――この命題は、Bにとって自己充足信念である。

 この2つをBが同時に信じればB⊥を信じる。その結果、⊥も信じる。

    • ③さらに、f1000の自信過剰命題 B(f1000)⊃f1000 は、f1000が自己充足信念であるということを表わす、真の命題である。Ⅳ型のBは、B(f1000)⊃f1000 を信じる(真であると知っている)。
(Ⅳ型のBの心の中)├    ――Bにおいて「証明可能」の世界
「f1000は自己充足信念である」
 f1000の自信過剰命題←
(Ⅳ型ならこれを書ける)
③B(f1000)⊃f1000  ←tt    ≡   -L> ② f1000: B(B⊥⊃⊥)⊃B⊥
(現に真)              (Bにとって自己充足信念:  ここに記号式を書ける、つまりBが②を確証できていれば真)
                   ⊥の謙虚命題
                     ↑

「Bは整合」
「⊥は自己充足信念である」
 ⊥の自信過剰命題 ←
①B⊥ ⊃ ⊥     ←tt    ≡   -L>  ⊥ ?? 「世界はメタメタ」「空は堕ちてくるし、天地がひっくり返る」
(現に真とは限らない)           (現に真ではない。――定義上 ;-p)
〔 ――「←tt」は x⊃(Bx⊃x) が恒真式だから。 「 -L> 」 は、レーブ的推論規則の記号。


 ↓


「Bは不整合」
(①と②が書ければ書ける)      (①と②が書ければ書ける)
 B⊥                   → ⊥
(現に真とは限らない)        (現に真とは限らない)


┤


 -----(ここから下が我々の言うところの「客観的現実」の世界)----------------------
(我々から観て)
〔B├B⊥ も 真〕              B├⊥ が 真。  ――あの子、イっちゃったよ……
               加えて ①「B├⊥ ならば ⊥ 」が真ならば、
                           ⊥ も真。  ――まあ…、「我々の証明できたことは常に真である」が真だという前提においてにすぎませんけど……。――自信なさ〜 ;

――「⊥」って、black holeみたいに面妖な点ですねぇ…?
――LISPでいうnilも、atom(集合ではなく要素にしかなれないもの)なのかlist(集合)なのか謎ですし。




    この現実世界に生きていてもまったく興味深い「第二不完全性定理」について、
   いくらかでも理解してもらえたかな?
    アナタも対称様相観察論理学を学ぶことによって、
   自分やいろいろなタイプの人々の心の深淵を覗き込んで、  ――え、趣味ワル?
   さまざまな自己充足信念の存在可能性を証明してみませんか?
  ――不動点の悪魔に魂を売渡すかどうかはともかくw
  ――そうそう、くれぐれも魔女狩りには気を付けてネ!!




  (参考文献)
    FOREVER UNDECIDED(決定不能の論理パズル 〜ゲーデルの定理と様相論理〜)
    レイモンド スマリヤン
    長尾 確,田中朋之 訳
    白揚社刊 1990


    THE LOGIC OF PROVABILITY
    George Boolos
    Cambridge University Press 1993