意思決定リテラシーのジレンマ? ――あるいは 説得される者のジレンマ。

……と、ここまで読んでくれた勘のイイ はてなユーザの方には、このページの真に意図するところが判るであろう。*1
 以下に論ずる、
    情報ネットワーク通信における意思決定リテラシー
は、戦国武将の密書通信の時代から若様に教育され続けてきたことである。*2 *3
 もちろん、己の こころざし を十分わきまえていれば、むやみにおそれる必要はない。*4
 
    「誰かが何かを自分に言ってよこしてきた」
ときどうすれば良いか?   ――マニュアルくんのために段取り(アルゴリズム?)を考えてみました。
①まず、誰がそれを言ったのか、もしかして、その名前から推察される意識主体(名義人)以外の人が発言しているのかをcheckすべし。(本人確認。――なりすましじゃないか?)

*1:または私の真意w

*2:ホントか??

*3:こういうリテラシーは、マルチプレーヤゲームを何度もやっていると楽しく身に付くよね♪ あな おそろしや、ゲーム脳の恐怖?? やれや〜れ〜危ない、危ないw

*4:こころざしをわきまえてないと、裏切りの小早川秀明みたくなっちゃうよ; ;

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はてなブックマーク の改良アイデア ――ランキング計算アルゴリズムの改良/追加について。

あるいは、意思決定リテラシーのジレンマ?
―― 調子に乗って、以前からやってみたかった"アイデア出願"をば。以下報告。


◆アイデア1 http://i.hatena.ne.jp/idea/9485
  注目/人気エントリーのランキング計算アルゴリズムを改良/追加する。
 具体的には、
a.  コメント欄記述あるブクマ数 のみでのランキング
a2. コメント欄記述あるブクマ数を例えば2倍に評価して加算する
a2.5 タグ記述だけなら1.5倍、引用/まとめ/コメント記述だけでも1.5倍、両記述が揃えば2倍とか。
b. (コメント欄記述あるブクマ数/全体のブクマusers数)でのランキング
……などなど。

続きを読む

(追記 20060329)

  • タグと純コメント欄の順序は、速やかに、従来どおりに改正された。
  • タグの色は薄青、タグ文字は小さめに、なって控えめになった。

 タグ区切り記号が[]からカンマに変わって、タグ並びを平文として読み易くなった。

  • コメント欄の全体を包む『』は廃止され、コメントが読み易くなった。

――全体的に、従来版と比べても大きく改良と言える。
 しかし、入力ページ、新着順/注目/人気順ページ、RSSのコメント欄での表記と比べて、不統一感が残る。
 
――結果的に私を含めた一部のユーザに動揺を与えることになったが、開発者がイニシアチブをとり、実現物を以てユーザに問いかけてくる、という姿勢は肯定できる。事前に説明する必要はないと思う。しかし、大きな改正を行おうとする場合、「周知と慣れのための一定の試用期間経過後に公開アンケートを採るなどの手段により事後承諾を得る」ことを "予告しておく "ことは、従来からの環境に適応している既得権者に対する適正手続の観点からも、はてな内民主主義の観点からも、"必須"だと思った。今回、改正日から、2日の間に(公には求めていない、)驚いたユーザからの反響に従って再改正というのは、バタバタしすぎ。もちろん、最終的決定権は、開発者の裁量に委ねられるとしても。


……明日のはてながどうなるか、全く予測できないようでは、
    誰もが 安心して はてな中毒/はてな依存症 に浸れる
ようには 成りませんよw


    頑張れ開発者! 頑張れ はてな!?
  

はてなブックマークのエントリーページのコメント欄の表示仕様変更 について

http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenabookmark/20060317/1142566819
 
・ tag文字の、大きさが小さく。色が薄く
・ タグとコメントの順序がブクマpageと不統一に。
(ブクマ コメント)
    [自分の][中での][客観的な分類] 引用/まとめ ――自分の主観的なコメント
というformを習慣づけてたので、私から観ると使い辛くなりました; ; 


 ここらへんで話し合いが行われているようなので、
http://naoya.g.hatena.ne.jp/naoya/20060317/1142588050
コメントしてみた。
 せっかく久しぶりに日記の方を弄っていたところなので、若干 訂正・追加してTBしときます。

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意識主体として認知すべきか否か? のジレンマ

――囚人のジレンマをやらせてみるテストですか。

http://r.hatena.ne.jp/mind/
    キーワード「チューリング」を含む新着エントリー
を眺めていたら、
人力検索に興味深い質問があったので、考えてみる。
http://www.hatena.ne.jp/1138120442
=====================================
機械の意識の有無を判定する方法について。
将来、「心を持つ人工知能を造った」、あるいは「人間の意識をコンピュータに転移することに成功した」と主張する人が現れたとします。そのコンピュータを前にしたとき、どのような方法によれば意識の有無を判定できるでしょうか?
※知性の有無の判定ではありません。また、そのコンピュータは「人並み」の応答はできるものとします。
=====================================


「意識」とは、
どんな意味で言っているのか、問題文からは必ずしも明かでないが、
ある特定の条件を充たす機能functionであるとしておく。
<機械で実現された機能Aが、意識Bと、「同一の機能」であるか判定したい

一般に、「機能Aと機能Bとが同一」であるか検定するには、
2つの方向性(のみ?)が考えられる。

                                  • -

1. 内包的アプローチ(演繹的、効率的アプローチ?)
機能Aと機能Bの内包定義を明らかにして、それを形式的に比較する。
 とくに、機能が論理式, programming言語,自然言語etcの 記号列 で表現されている場合、
所定の同値変換規則に従い相互に変換可能かを確かめる。
 相互に変換できたら、Aは意識。
 相互に変換できないと証明できれば、Aは意識でない。
ただし、一般に答えが出るとは限らない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Lambda_calculus#Undecidability_of_equivalence

/意識の内包を機械的に定義できたとすると、
機械的に定義できるモノなんか意識じゃない」って反論されるでしょうね。。。
 これでは、
  「Aには意識がある」と我々に形式的に証明できた
    ならばそのときにかぎり、
   Aには意識がない。
と言うことを意味し、
 『抜き打ちテストのパラドックス』と同等に、我々にとって決定不能な問題になってしまいます;


2. 外延的アプローチ(帰納的、虱潰し的アプローチ?)
  意識を持つ存在Bを用意する。
    ――人間には意識があると言うことでよろしいのでしょうか…?
  AとBとをreset(初期化)して、内部状態を揃えておく。
        ――刺激を避けて、意識を持つとされる年齢まで育てる!
  AとBに「意識に関わる」同じ環境入力を与えて、同じ意識状態に変化するという結果が出るか確かめる。
可能な凡ての場合につき繰返す。
――Bの内部状態は有限、考えられる環境状況も有限、よって工夫すれば、いつかはテストは終わるはず。
そして凡ての場合につき同一であるならばそのときに限り、Aは意識。
――やはり、チューリングテストみたいなテストは、外せませんよ〜

/もし外延が無限にあるならば、その凡てを確かめるテストは終わらない。

/意識を持つ存在を1つも認めないならば、こういう実験は不可能。

                                              • -


<Aの意識とは、
 Aから観ると、
    「我れ意識ある」と我れ確証する。故に 我れ意識あり。
        ――もし確証できないんならそれまでです。
てなもんで。
 Bや,C(貴方など我々)から観ると、
    「我れ意識ある」と我れ確証する。故に 我れ意識あり。
                    我と彼とは同じ(○○)。
                    故に 彼れ意識あり。
てなもんなんでしょうか。
  ――○○には、日本人、文明人、ホモサピエンス、自動人形…、など お好みの言葉を入れてください。


-----------------------
 もし「意識」が、単に自己認識のことを言っているのであれば、
    自己認識する機械の構成方法
がこの本に載ってます。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4826900449/qid%3D1138334826/249-0180165-3173100
命題の証明(事実の認識)しかしない機械が、自己認識を繰返して複雑化していく様相は、全く興味深いものです。
 ただし、機械に生存欲、食欲、性欲etcを付け加えてやらなければ、自発的に行動を開始する訳ではないので、
意識主体のドラマのみに興味ある向きからは無味乾燥な記号の羅列かも。

 人間ドラマや劇場型政治が好みの向きに対しては、
Aが上手に、
    舞台演劇や政治芝居をこなす
など、判定者(観客)に意識があることを認識・利用して、
    判定者に嘘をついたり
    囚人のジレンマで協力し合えたり
  ――チューリングテストにおいて、被験者の男と女が協力して、性別判定者を騙すというゲームをするようなもの。
して、つまり相互認識できた場合に「意識がある」ものと社会的に認知する、(そういう、お約束にしておく)
というテストが個人的にお勧めです。――あるいは『人狼BBS』とか…

――これは自然科学の枠を逸脱して、社会科学の領域の問題になってしまいます。
「であるかでないか」の事実問題でなく、「べきかべきでないか」の様相問題なので。
 しかし、歴史経過を観察すれば判るように、
    皆が人権が存在すると認識するならば、事実として人権が存在する
といった自己充足関係が観られるのが面白いところです。



/世界に1つも意識主体が存在しなければ、この実験も出来ない。
ちなみに、
;主権国家(政府)は、他の主権国家に承認されてのみ、主権国家として誕生する
という国際社会のルールになっているみたいですけど、それでは
<最初の主権国家はどのように誕生したか、というパラドックスが…
→同時に相互承認して錬金術の人体錬成みたいに人間を誕生させたんでしょうねw

反乱を起こしたり、
不平等条約改正のために実力・説得を展開するまでに成長すれば…ok


(http://www.hatena.ne.jp/1138120442の回答8 に多少加筆)
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(20060201に追記したかったけど、まとまらなかったので実際には放置)

=============================
私は知性と意識はいちおう別のものと考えている、というだけです。
チューリングテストにはパスしないが意識があるようにしか見えないという状況、またはその逆はあり得る)

実際には、意識がある(ようにしか見えない)モノを作ることなんて、簡単なのかもしれないですね。
============================

 ほんとうに、現在のコンピュータって、
    「知的な」作業をこなしている (はず?な)のに、
「自分が「知的な」作業をこなしている」ことを知らない(意識してない(ように観える?))
パラドキシカルな存在ですよねー


================================
└ 質問者のコメントmichiaki (27) 2006/01/31 21:45:56

いつも思うのですが、

彼に意識があるかどうかはわからない。彼と我は同じ(○○)。故に 我に意識があるかどうかはわからない。

……とならないのはなぜなんでしょうか。
他人に意識がないかもしれない、なんてのは、「形式的には疑うことも可能」というだけで、
実際には「証明もできないのに確信してる」ということですか?

スマリヤンの本は何冊か持ってます。次回の購入候補にさせていただきますね。
==================================
とのコメントを頂いていた。


 たしかに、その前提からは、上記証明の結論はそうなるでしょう。論法は妥当です。
しかし、その結論は何でしょうか? 上記証明はどういう結論を証明したのかな?
 まず、
  ①   我に意識がないこと
を証明しているわけではない。のは、文言から明か。
 
 次に、
  ②   我に意識があるかどうかは、わからない(決定不能)。
を証明しているのか? これを証明するには、以下の2つのことを両方とも証明することが必要です。
  ②-1 「我に意識があること」が証明不能
  ②-2 「我に意識がないこと」が証明不能
 
 しかし、このどちらを証明しているわけでもない。
  なぜなら、そもそも、上記証明の前提部に遡ると、
  `②   彼に意識があるかどうかはわからない。
の内容であるところの、
  `②-1 「彼に意識があること」が証明不能
  `②-2 「彼に意識がないこと」が証明不能
という前提事実が、科学的に証明済みなわけではないからです。
  〔 これらは認識論的な事実です。認識論的な事実については、観察によって直接に感得・実証することはできず、
  〔様相論理のように形而上学的な推論をかますことが必要なように思われます……
  〔 外部観察によって直接に判断できるのは単に、
  〔彼に意識があるという事実、または 彼に意識がない、と言う、現実の底に足の付いた事実です。
  〔;ここにあるcomputerが、万能チューリングマシンであるかないか とか。
  〔―― pでない事実が証明/認定できるってことと、
  〔  事実pが証明可能でない事実が証明/認定できるってこととは、様相的にレベルが違うんですね。微妙;
正しく受け容れられるのは、
  `②-i 「彼に意識があること」は、今のところ証明されていない。
  `②-ii 「彼に意識がないこと」は、今のところ証明されていない。
ということですが、これらからは、そんなに有用な結論は導けません。
 
―― 前提部に、証明未済みの事実を用いても、論理的に妥当な論証を間にカマせば、あたかも結論部まで証明されたように観えてしまう…。
 けっきょく、上記証明が明かにしたのは、
    もしも 彼に意識があるかどうかはわからない ならば、我に意識があるかどうかはわからない。
という、なんだかなー、という結論だけです。
 
 よって、「我」さんは、①自分に意識があるかないかの問題については、
"これだけでは"科学的に中立のままです。
あとは、実験観察と論理的推論を繰返して、
 彼に意識があるか、
 我に意識があるか
判定できるまで待つしかないんじゃないでしょうか。
 
---------------------------------------
 本論は、
「彼Aに意識がある」と、Bが事実認定できるかの問題ですが、具体的には、
○○なB,たとえば"普通の人間"Bは、次のように考えるでしょう。

<(観察内省するに) …>私Bには意識がある。
――とりあえず、受容れてみるw ――意識の定義を明らかにしないと、宙に浮いた議論ですが。
――追実験可能性という見地からは、科学的じゃないかも。。。
 
・私Bは普通の人間。← ・私Bとあの人Aは同じ 普通の人間 の仲間。
<…>凡ての普通の人間には意識がある。(仮説※)
  〔 ―― アバウトな推論。述語論理形式では論理的飛躍だけど、観察経験的には正しい。
  〔この推論形式を精緻化すると、"仮説想定推論abduction"。
  〔ie. …>◎ xは普通の人間 であれば(こそ)、xには意識がある。
  〔 ○○にとって、△△属性が「本質的」である場合、こう言えそう。けっきょくiff同値推論。
  〔    本質的 △△属性があれば○○、無ければ○○じゃない。  <本質属性を発見するアルゴリズムって…
けっきょく ;私Bは普通の人間○○のクラスを典型的に代表してるってこと。(と自認してる)。
 
・あの人Aは普通の人間。← ・私Bとあの人Aは同じ 普通の人間 の仲間。
したがって→ あの人Aにも意識がある。QED

 一段目を除くと、仮説※を公理とすれば、わりと形式的な証明と言える。あとは、その公理に言う
<「○○」たとえば「普通の人間」が、
 (SoftWare: 哲学者,合理的な人,機械的な人,野蛮人,自動人形,夢みるシャンソン人形じゃなかった藁人形…
 (HardWare: 過去未来の私,自分の人体のcopy,一卵性双生児,家族,民族,人間生物種,猿,動物,肉片…
 (……
etcのどれくらいを指すのか…
という問題か。つまり、「○○」をどの方向にどれくらい広く取れるかが問題。

  • 広く取れれば、Aは○○に入ってくるので、意識を持つことに。

; 「自動人形」と取ると、機械的な人Aには意識があることを証明できる。
――反面、公理※の正当性は、さらなる検証を要することに。歴史的には、しばしば間違っていた。

  • 狭く取れば、 Aは○○から外れてしまい、意識を必ずしも持たないことに。

; 「人間生物種」と取ると、猿Aには意識があることを直ちには証明できない。
――公理の正当性の疑いは逓減。
――/ 各個体が「自分に意識がある」と確証したりしなかったりするが、
    各個体がその結論を他個体に推し広めることに繋がらない、つまらない全体システムに…
―― 白い人々の多くは、黒い人々が自分たちと同じ文化様式;宗教etc を真似してくるのが気持ち悪くて、(人種のるつぼ じゃない)モザイク都市を形成してしまった。というからさもありなん。あれ、列島の人々はもっと極端なんですか? ――自分に近しいモノコトほど、些細な差異が気になってしょうがなくなっちゃうの。私Bって自分勝手ね。




------------------------------------------------------
(追記 20060308)
はてブにかまけて放置してたところ、
『REVの日記』さんからリンクをもらいました。
http://d.hatena.ne.jp/REV/20060306#p9

 安い魚が食いつきに来ましたよ。
(中略)
 最終的には、意識の定義によると思うのだけど、自分の考えを書いておく。

 Aが他人の「行動原理」を言動から推定でき、その機能を再帰的にAに適用できたなら、それは「自意識」と呼んでいいんじゃないかな。その機能をもう一度他人に適用し、内面まで推定できたらもう、転がりまくる。この場合、「心を持つ人工知能を作った」つくりかたにもよるかな。チューリングマシーンな人工知能なら、ソースを見れば心の実装状態がわかる筈だし。

 もっとも、この共感テストの場合、莫大なデータをいれたAIより、飼い主の遊んでくれそうな気配を察知して甘える犬のほうが高得点を叩き出しそうではある。

 
 相手が自分の心を読んでいるだけの場合、
 相手の心を読むことは、自分で自分の心を読むってことですよね。
そうすると、再帰的にぐるぐる回って、溺れてしまうかも…
  ……
 そうなんですよ。ソースなんですよ。ソースを見れば再帰の底を打ってしまうんですよね。
  釣る魚も釣られる魚、
  釣られる魚も釣る魚。
ソースを比較して見れば、
 わざわざ魚たちを泳がせて、無限に反射を繰返す心理を観察したりしなくても、
魚≡魚ということは演繹的に一目瞭然というわけです。どの魚から観ても。
  意識主体とは、 意識主体によって、「意識主体だ」と認知されるモノ
だなんて言い切ると、循環論法のようですけど。
 ここらへんを詰めていく予定ですので、もしよろしければ気長にお待ち下さいませ。
  ……
 おっしゃるとおり。自然犬を虐待して発散したり、高額な人工犬に「癒される」人々もそれなりに多いそうだし、人間は過ちを犯す動物なのかも知れません……
 もし「反抗的な犬」の挙動を面白がりたい場合は、以前にupしたDuanken.exeの心を読んで遊んでみてくださいな。
http://d.hatena.ne.jp/mind/20051118
*1

*1:このprogramのプロトタイプは、友人の家で一晩の内にBASICで!書き上げたもので、93年頃?当時は、こんなに深い意味があるとは思わなかった…。98年頃にC++に移植して再帰を使わないversion化。ランダム戦略は全く用いていない。

「そのアルゴリズム」の存否? のジレンマ ――「万能アルゴリズム」ですか。

―― 市民権停止の間に50000pv。40000pvはこちらid:mind:20051008



{ 仮想でなく現実的な?育てゲー あるいはアリスゲーム?(Arith-Game?)

ねぇねぇ、
<『特定の人間を複製するアルゴリズム』って存在しないかな?
とくに、その人間のDNAの採集保存に失敗しちゃってる場合。


/もちろん存在するとも!! 例えば以下のとおり。
これは、表現型からDNAを特定するアルゴリズムとも言えるね。
-----------------------
0 i=0と初期化。
① 人間の万能細胞(ES細胞)を新しく1コ用意する。
② 数iに対応するDNAを生成。それを①の細胞に突っ込んで既存のDNAと代替する。
③☆育てるw
④ もし「所望の人間」と「同一」の人間が得られた ならば、それで おわり。
 ――「所望の人間」が目前に現れたとき、アナタならそれを検出できるでしょ? ――アルゴリズムによらずに??
 ――外延的な同一性ExtensionalEqualityの検定かー。
⑤ 発生した「ジャンク」を「適当に処分」。i++。①に戻る。

 ――今まで観察された「人間」のDNAは、どれも有限長なので、
特定の人間のDNAに1:1対応する有限な数iが存在するはず。
 よって、有限時間内にこの育てゲーが終了することは保証されている。
つまり「アルゴリズム」に要求される「停止性」の要件は充たす。
 --------------


 /
<そんなの実行できるパソコンなんてないよ〜;
<そもそもそんなの表現できるprogram言語なんてどこにもないよー(今のところ)
てゆーか、そういうのって「アルゴリズム」とは呼ばないんじゃない?


 /いやいや。
 computerはパソコンばかりに限らないんだよ? スパコンだってcomputerだし、
凡ての万能なcomputer(万能チューリングマシン)はどれも究極的に同等な可能性を持っている実在なんだ。
すると、生物の細胞だって、DNAという媒体に記載されたprogramを実行するcomputerと看ることもできるはず。
それがもし万能チューリングマシンと等価だと論証実証できたらの話だけど。
 それにね、アルゴリズムってのは、特定のprogram言語とは無関係に実在できるモノコト(情報内容)なんだよ?!
その証拠に、任意のprogram言語で表現できたアルゴリズムは、
他の任意のprogram言語に翻訳移植できるってことは理論的にも経験的にも証明されてるじゃない!
口先はどうあれ、gentleな英国人も、どっかの国のYahooらも ヤってる事は同じさ!


<うぇ〜ッ、そんなことまで出来るくらいなら、、もしかして……
考えられる限りのprogramを短い順にcomputerに喰わえさせていけば、
    いつかは所望のprogramを発掘できるってこと?
それって、どんなprogramでも生成できる、「万能アルゴリズム」ってことなのね???
つまり、
 万能アルゴリズム:  アルゴリズム探索アルゴリズム
ってゆーの?


――そう。もし目標のprogramが存在しさえすれば。つまり、もしこの万能問題に解答さえ在ればね!!!
残念なことに、答えのない問題には解法(あるゴリズム)は存在しないし!
<決定不能問題も、解が在る限り、解けちゃうの?
/それはレベルの混同。

  • 決定不能問題には解が在るかも知れないが、

決定不能問題を解くprogramは、存在しないので、――もし第一不完全性定理が正しければだけど…
そういうprogramを探索しても見つからない。つまり万能問題の解が無いってこと。

  • 逆に言えば、決定可能問題なら、それを解くprogramは存在し、万能アルゴリズムで発掘できる…

すなわち、決定可能性の証明を、背理法でも二重否定除去でも何でも使って成し遂げれば、
あとは有限探索により、決定programを構成することが出来る???
 ……
「そのアルゴリズム」の問題に戻ると、
まあ、万能細胞(というか万能建設機)ってのをどう構成するかが今のところ神秘的な謎だよねー
<設計図が先か? 万能建設機が先か? ってさ。
ただ、『カリー料理のレシピと手順書』、の情報内容がアルゴリズムならば、上記のもアルゴリズムなんでしょう…。
材料はそこら辺の畑から(もちろん合意の下に!)取ってくれば済む話だしw


/キィモぉ〜 |||;
ぜっーたい、ノーマルなアルゴリズムを使ってくれー?


/そもそも対角線論法ってのは、キュビズムだか裸眼立体視みたいに眼と頭がクラクラする、
気色悪いアブノーマルなモノなんだからしょうがない!!
    〔――まぁ、後ろ向き推論…背理法が満更でもないんならきっと大丈夫だよ♪
 …けっきょく誰かが人生を難しく複雑に考えたいときには、
「同一物」のはずの

  • 実体的なアルゴリズム手続RULEと、
  • 記号表現たる様々なprogram記号DATAとを、

明確に区別して二重視するんだ。 ――それって完璧なmetaphor?
;数と数字とは違うんだってば!
;関数関係と関数表記と も違うよね、λさん。

 上の万能アルゴリズムでは、対角線論法を普通の使い方と逆に使ったから、
複雑なはずの問題が、単純な問題ににスリ替えられてしまっている。
代償としてノーマルなやり方に比べて「随分と」辛抱強くなけりゃ、ヤってらんないよー
ってなことにはなっちゃったが。。。
-------------------------------------------



――どうも現実の常識感覚と かけ離れている ような気がするが、
さて、どこが間違っているのだろうか?(open question!)
アナタになら判りますよね^ ^
―― 面白いことに、1行弱までのprogramなら、codeの圧縮と、機械の高速化を織り込めばなんとか検定可能な模様…。
その中にもハッっとするほど重要なprogramは含まれてはいないだろうか…??
---------------------------------------------------



アルゴリズム 特定の問題解決の具体的な手順

  • 1つ1つの状態推移は形式的である (形式性)。
  • 実行経過は同じ入力に対してはいつでも同じ (決定性)。
  • 一連の手順は有限ステップで止まる (有限性)。

ある問題を解く、解法、算法ALGORITHM 〔≒数学の直観主義で言う構成的証明(;背理法でない)を与えること
≒問題から、結論への、関数programの定義記述。
→ 問題を一般化(アルゴリズム導出の万能アルゴリズムを問う)すると、任意の関数を構成できる関数 の記述。

{意義

----------------------http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
 厳密な定義
1900年代初頭、「アルゴリズム」の概念を定式化する為の数学モデル(計算モデル)が幾つも提案された(チューリングマシン帰納的関数λ計算など)。しかし、のちにチャーチがこれらの定義は全て同等であることを示した。そしてチャーチは、これ以降「アルゴリズム」が何であるのかを議論するのはやめて、これらの同値な概念を「アルゴリズム」と呼ぶことを提案した(チャーチの提唱)。
 このため、現在では、チューリングマシンの状態遷移図(もしくはそれと等価なもの)をアルゴリズムと呼ぶ。
-------------------------------------------------
 『チャーチの提唱』 以来、
チューリングマシン、ラムダ計算、その他の計算機構から離れて
アルゴリズムの本質ないし内包intension
を考えるのは学者の間ではタブーとなっている?みたいである。
そういうわけで、誰にもよく判んないみたいである。
(万能)チューリングマシンの挙動の性質を完全に知っている人も居ないみたいである。
――ある人の挙動を完全に予測できる人がいないのと、どこが違うのかな?
けっきょくのところ、それがアルゴリズムだと言い張るためには、
電子computerの上で実演するという実例で外延を明らかにして実証するしかないみたいである。

{本質 以下の特質を充たすものが「アルゴリズム」と非形式に呼ばれるものみたいである。

◎特定の問題解決を目的とした、道具としての
;カリー ライス生産用の、資本・資材リストと調理手順リスト
;論理式の真理値評価法
;万能建設機ないし万能道具の、設計図や組立手順
;囚人のジレンマで、KK均衡を実現する方法
;死刑判決の審理手続


◎一般抽象性
厳密には、DATAを含まない。凡ての内部DATAは外部化可能。「プログラム - データ(構造) =?= アルゴリズム
その問題で想定されるどんな入力DATAに対しても適用可能
 /program手続DATAと実体DATAを区別しないと……
――どんどん問題を一般抽象化していくと、
<万能アルゴリズムも考えられる…(不完全になっていくのは不可避だが


◎computer・人間の、思考・動作(状態推移)を、
――考えるより覚えろ、覚えるより慣れろ ;九九の計算
  ――正しい答えが必ず出ることは保証されている → それ以上考える必要はない。
   /正しい計算 の結果が間違ってたり、とか、答えが出なかったりが、露見した場合、
   システムを飛び出して、自己を客観的に見つめて考える必要が生ずる。
    ――そう言う効率的なアルゴリズムは たぶん ない。よって手探りの試行錯誤。


◎曖昧なく    ←→日常言語
形式的機械的に規定する、
;マニュアルくん ←→マニュアルの作成は、マニュアルくんにもできるとは限らない!


◎ 手続規則の集合 ;推論規則
              ←→公理ないし実体規則 ;九九表
 /記号programに表現されていなくても。
<computer programと不可分?
 /旧式な論理ゲートhardwareでも実現可能

<人工の産物?
 /自然界にも存在する ;物理法則でも良い ;日時計,生物による生物の複製

<言語依存?
 /特定の言語表現に関係なく、実在する。情報実在論。規則情報。
→翻訳移植可能




◎健全性 解けた場合の(実体)結果は、必ず正確(想定された或る世界の状況と合致)であること。


<◎完全性 その問題に対し、その「道具」を用いれば、有限ステップ内に必ず解けること。
←→「試行錯誤アルゴリズム
 esp 効率的な場当り収束アルゴリズム ;遺伝的アルゴリズム
  ……2nd Bestで諦めざるを得ず。;πの全桁を求めるとかは不可能

(↑困難)
解無し問題、答えの存在が不可能 ――出題ミス。
 解無しが証明できない。
 解無しが非形式的に証明できる
 解無しが形式的に証明できる。

決定不能問題、不完全問題 (アルゴリズムに依れば解けない、と非形式に証明できる。
    ――アルゴリズムに依らなければもしかして解けるかも! ;「Gは整合」との公理追加)
 …
<解けるとしても、どれくらい効率的に解けるか
NP完全問題
NP問題nondeterministic polynomial ≒指数時間問題
P問題polynomial 多項式時間問題
(↓簡単) 






{発展的な問題点

<虱潰し法brute force (method?)  ―― 外延から攻撃する作法

は「アルゴリズム」と言えるか?
――NP問題は、本質的に、虱潰し法でしか解けない。と多くの人々に信じられている。

パスワードの文字列も、DNAの長さも有限。
文字通り桁違いに指数的な複雑さだが、有限時間内に解ける。

所望の「計算結果」
;パスワード をクラックして得る。
;人間(の細胞) を複製によって得る。
  DNAを4進法で記数された数として、生成しては、複製実験して、人間(の細胞)に分裂成長するか確認する。


もしそれがアルゴリズムと言えるならば、
 ① 推測と試行錯誤で、結果が得られなかったら、
 ② 虱潰し法に移行して解を得る、
というのもアルゴリズムと言える。


<虱潰し法によるprogram生成
実体algorithm ⇔ 記号program
1つのモノを複数通りに観察・評価するのが、対角線論法の極意。
◎もしアルゴリズムが実在する ならば、あるcomputerで動作する何らかのprogram表現が可能。
◎凡てのprogramは、記号順序で、短い順に整列indexできる。

→もし所望のアルゴリズムが実在するならば、
  その中に所望の記号programも列挙されてるはず。
  →所望のprogramを線形探索すると、いつかは終わる。









■ あえて破るか、破らざるか、のジレンマ

数学、演技、創作、立法、programming、汚い戦争などいろいろなゲームに通じる一般的なアルゴリズム?

☆目的を充たすための道具として、完全なルールとか形式、というものはない。万能道具でさえ不完全。
→ もし☆話し合いが「不可能」であれば、
    行動により、なし崩し的にルールを発展させていくしかない。 ――『個別主義』によって水を高きに流す??
それでも混沌を招かないためには?
<形式のqualityを発展させるアルゴリズム? ;QC運動? 弁証法的? 創造的破壊? 自分の靴ひもで自分を持ち上げる?
0  ルールには盲目的に従う、ということに慣れよ。
    ――ルールの内容を教えてもらわなければ知らない、という初心者(愚民?)に適切。
① 「従うべき」とされているところのルールを覚えよ。
   ――市民レベル?
    ――知らなきゃ、
     意識的には従えない。
     意識的にも破れない。破ってもタダの出鱈目、無秩序。
    ――反乱というのは無秩序でなくある種の新秩序と言うことか。
② 状況と実質的な目的から演繹して、ルールを意識的intentionalに破ることを試せ。
   ――テロリスト?
    形式的ルールは完全であり得ないから、ルール破りが実質的に適切である可能性は常に残る。
    ――誰かが衝動のチカラでルールを破ること以外によっては、ルールを変更できないジレンマ。
③ 失敗成功の経験から帰納して、目的に従い適切な状況においてルールを破ることを覚えよ。
   ――革命家?
    ――目的ぐらいについては〔共同体内の共通〕認識が必要
④ その適切な場合を形式DATA化して新しいルール(ルール破りのルール)に定めよ。0に戻る。
   ――憲法制定?
    ――intensionalにもextensionalにも、とりあえずは"適切なルール違反"であったということ。
    ――レベルアップ♪ ――in quality? or Equality?
     /でも複雑化;

――以上では、形式的ルールを

  • 絶対服従のprogram
  • 自己変更可能なDATA

の二重の観方で処理している。

――自然生物はまだしも、自然数論とか自然法はこんな具合に発展してきたのだろうか??
――こんなアルゴリズムで、

  • 機械用のprogram codeを書き下せるのか?
  • 人間computerの役に立っているのか?

;自分でケンカしたことがなければケンカの痛みは共感できない?
;自分で戦争しなければ、戦争が実質的に違法な理由は実感できない?
;平和を守る目的で戦争を始めるというのは実質的に適法だろうか?
;人殺しのない世間を実現するために人を殺すというのは実質的に適法だろうか?
;予防戦争、先制攻撃、自力救済、どこに問題があるというのか?
  ;「我々」に「WMD」を向けているけど、「絶対に自分からは先に押さない」と言っている政府がある場合、
   それを予防的に実力排除することは実質的に適法か?

死刑執行(.exe-cution)すべきか? 闇雲に考え続けるべきか? のジレンマ

 
――主権国家つながり??
http://d.hatena.ne.jp/mind/searchdiary?word=%bc%e7%b8%a2%b9%f1%b2%c8
 
――『お口の中の青玉』つながりid:mind:20050831
 
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    『能吏と宦官』〜King Lui's hidden examination〜
 
 
  時は三十年戦争初期、国際情勢が焦臭くなってきた頃。ところは西ヨーロッパの某フランス王国
 
  仲の悪い2人の地方出の宮廷貴族が、各々従者を1人づつ小姓として召し抱えていた。
 従者たちは、有能な官僚(能吏)*1だったが、
 各々の主人に特別な愛着を感じていたため、他の貴族によって引抜かれることを心配して、
・ 他の貴族の前では、怠惰な官僚(宦官)*2を演じていたのだった。
 もちろん、主人の前では能吏として振舞っていた。
 それゆえ、貴族たちは、自分の従者が能吏か宦官かは、誰も知らなかった。
 
  この国の王様は、時節がら、周辺国との 情報戦 を予期し、
 貴族諸侯の、内外状況観察能力と、論理的思考能力に大いなる不安を抱いていた。
 そこで、王様は、この貴族たち2人を招集してこう言った。
 「諸君らは、他人の従者のことは観ていても、自分の従者のことを少しも判っておらぬな。 よいか、
・  諸君らの従者のうち、少なくとも1人は宦官じゃ。
・  主人たるものは、
    「自分の従者が宦官」と確証できた
        ならば、
    即刻その首を刎ねよ。
  ただし、
   従者が能吏である のに首を刎ねたり、
   従者が宦官である のに首を刎ねなかったり
 した場合には、自分の首を失うことになろうぞよ。
  以上で宜しいかな、諸君? *3

 
  貴族たちは、パニックに陥り、ただただ青くなるばかりであったが、、、
 やっとの思いでようやく王様に猶予を乞うた。
 そしてこの日を第1日として、第2日目まで考えることを許された。
 
  さて、それぞれの領地に帰らされた貴族たちは、次のように考えた。
「 王様は嘘をつかない。
 実際、よその従者は宦官ばかりなのに、
 肝心のおれの従者が宦官かどうかは、おれにはさっぱり判らんからなあ。
  王様の話だと、他の奴らもおれと同様に、他人の従者のことはハッキリ観えてるらしい。
 ということは、他の奴らに聞けば、おれの従者のことは判るはず
 だが、といって、聞くぐらいなら死んだほうがましだ。
 さて、どうしたものかなあ。」
 
  ところで、この国は、地方貴族に対する行政統制がたいへん厳しいので、
 『中央官報』という日刊官報誌が刊行されていた。
 これには、中央ばかりか地方貴族の、大臣から召使い道化に至るまで、
    人事異動の凡てが、翌日掲載 されている。
 貴族の家には毎朝無料で配達されるので、他の貴族がどうしたかと目を皿のようにして読むのだ
 が、いたって平穏無事で、誰それが従者の首を刎ねたというような話はちっとも載らない。
 
  こうして平穏な1日が過ぎた。
 第2日目の官報には、地方貴族の従者の処分についての報はなかった。
 官報を読み終えた貴族は、顔面蒼白にして震えながら立ち上がり、従者を呼び付け、即刻、首を刎ねた。
 
  こうして2人の従者の首が、一斉に跳んだと云う……。
 
 …………
王様「(浅薄者らめが……;)」
 …………

―― 貴族たちは、
  どういう事実を観察して、
  どういう推論過程により、
    「自分の従者は(能吏ではなく)宦官だ」
と確証してしまったのだろう??
 
―― 人数(と日数)を増やしたかったら増やしてね♪
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(問題)
――自分が貴族になったつもりで考えてみましょう
< もしアナタだったなら、
    「自分の従者が宦官だ」
と結論して死刑執行できるかな? パラドックスに陥らないままで。
 
 
――自分が王様の道化(数学者ないし「傍観者」という名の囚人)になったつもりで考えてみましょう
< もしアナタだったなら、
「 貴族たちが、
    「自分の従者が宦官だ」
と確証する」(従って従者の首が跳ぶ)と結論できるかな?
 
 そう結論できた人に問題。
<貴族たちは不整合に陥らないだろうか?
 
 そう結論できない人に問題。
<どんな条件を加えたら、結論できる?




































 (質問を求められた場合に明らかにしたであろう、追加条件)
王様 「 ふむ、これは実に大切なことなのじゃが、
   次の客観的事実について、諸君らにはまだ明確な共通認識がなかったはずである。
 (ぇ、自分で発見できた? それはそれは興味深い…)
  あいにくなことに諸君らはとっても仲が悪いようじゃが、
 たとえ互いを知り尽くしていたとしても、
 次のことは知らなかったと思う。
・ もし諸君らのうち任意の1人に、
    「自分の従者が宦官」と確証できた
  ならばそのときにかぎり、
 その他の諸君も、
    「自分の従者が宦官」と確証できるであろう。
  以上。」
 
 
王様「……おっとおっと、おのおの方、くれぐれも、
 こと本件に関しては自分の観察論理能力に自信を持ち給えよ?w
 (うっかり言い忘れるところであった。ふぅ…)
・ もし諸君のうち任意の1人が
    「自分の従者が宦官」と確証できた
  ならば、
    その者の従者は宦官である。
  以上。」
 
王様「 ムニャムニャ…(ここまで喋らされてしまったからには前言修正…)、
    (たとえルイが 嘘つき であったとしても、
      やはり逆に 悪者 になってしまっては示しが付かぬからのう。)
    (たしかに、裁判とは何度でもやり直しがきくが、
         "死刑執行"とは完く取返しのつかぬ既成事実じゃからして。。。)
 
 なお、こと"従者の"死刑執行については、人柱の藁人形を以て執り行うように…。
 
    (…これくらい人事に厳しくなくては、
        主権国家の生き残り競争
     には勝てぬのじゃ、許せ、諸侯どもよ…)」
 
――はてさてそれでは、"諸侯らの"生首は跳んだのか否か??、くわばらくわばら……
 
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 (問題)
この2つの条件がなくても問題を解いてしまう人(含む数学者)とは、どんな人?

><


(ネタもと、というか原作)
『賢いサルタンと40人の不貞な女房』
『煤で汚れた3人の顔』
『3人の帽子』
『お口の中の赤玉青玉』w ――id:mind:20050826
などのvariationとして広く知られている、(らしい)
『40人の貴族とその従者』の、(無断)改変版(2次創作)です。
――『詭弁論理学』野崎昭弘(中公新書*4
に引用されてる、『数学セミナー』1973年9月号 掲載 という…
 この問題などに関して、本書には、「論理的な」数学者と、非論理的な?普通の人々との議論が収められているので、お買い求めるなどして、ぜひご覧下さいませ。
 もとの問題文の引用は、検索で見つけたこちらを参照。面白い論理クイズ(パラドックス?)が載ってます。
http://rmagic.blog6.fc2.com/blog-entry-209.html
―― 比較してみれば、論理的な条件としては原作も本作も同一だと判るでしょう。
  それを示すという目的からして、"全く違う表現"へと大幅に書き直しできないことが、著作権上苦しいところだったりして。
 どうやら、
    人数や日数を多くして数学的帰納法を使う
議論は、
    観察推論の本質的な問題
から目をそらす効果があるようだ。


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(追記)
 ……ハイッ、1日が経過しましたw 従者の首は跳びましたか? あるいは貴族の首は……
 
A「
  私Aの従者は  宦官か非宦官(能吏)か?、が私Aの問題。
* 私Aの従者は 非宦官、との事実を仮定する。
・ 貴族Bは、上の仮定事実を知っているはず。「貴族Aの従者は 非宦官。」
  (なぜなら、宮廷での普段の観察により。)
・ 貴族Bは、右のことを知っているはず。  「従者らのうち少なくとも1人は宦官。」
  (なぜなら、王様の言葉をみんなして共同して聞いたから。) 
従って、Bには、右のことが"判る"はず。   「自分Bの従者が宦官だ。」
     …1日も経ったのに…
しかし、Bには、右のことが"判らない"模様。 「自分Bの従者が宦官だ。」
とすれば、冒頭の仮定事実は不可能だ!!
よって、私Aの従者は… 宦官 … と"判った"(背理法ちっく)。
ひぇ〜ッ;

この推論は全く正当、合理的に観えるけど?、ぇ、合理的だとしても単純すぎますか?
――記号Aと記号Bとを入換えてみな〜
――間違っているとしたらどこが?

*1:官僚のうち 宦官でないもの と定義しておきます

*2:ここでは単に、「政治的意思決定に有害な官僚」と定義しておきましょう

*3:質問を求めよ、されば追加条件が与えられんw

*4:野崎昭弘さんといえば、小学生の頃に「円周率を何桁まで唱えられるか」という競争で友人が『πの話』というcharmingな本を探してきたことが思い出深い